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THE WING OF EIEL

エイエルは光の旅人、冒険と癒しの旅を続けています

北海道胆振東部地震のその後

地震発生翌日7日となって、被害の大きさがさらに露わになってきた。震源地付近の厚真町は震度7だったことがわかり、大規模な山崩れが多くの家を飲み込んでいた。


札幌も震度5強という当初の発表だったが、場所によっては震度6弱だったことがわかり、うちのように直接的な家屋や家財の被害がほとんどないところもあれば、札幌でもかなりの損壊をもたらした地域もある。里塚や北広島の液状化被害はもう手直ししてそこに住むことはできないだろうし、台風21号で大規模な倒木や家屋損壊などの被害があった翌日にこの被害は厳しい。


食器棚やタンスの中身が飛び出して散乱したり、商店や企業でも商品が割れたり、備品や設備が損壊したところも少なからずあるようだ。また、墓石が倒れたりしているところもあるとのこと。そういえば清田区の小学校の体育館で、大きな窓枠ごと落下してガラスがめちゃめちゃに割れているのも見かけた。


被害の拡大を知ることは心苦しいが、現実としてこれが厳冬期でなくて本当に良かったと思った。


ちなみに内地の方々には信じ難いかもしれないが、昨日11日火曜日の朝の最低気温、稚内では氷点下を記録している。厳冬期でなくても、あと一ヶ月遅ければ雪がちらつく可能性もあり、そうなれば避難生活の過酷さは非常に深刻なものとなる。


電気がなければ石油やガスの暖房器具もほとんど使えない。北海道は手動で着火できるポータブルの石油ストーブを使っているところは少なく、ほとんどが強制吸排気のFF型、もしくは煙突式のストーブを使っている。それらは電力なしではほとんど運転できないのである。


さて、7日になってかなりの地域で停電は解消されたとのことで、いつも通り仕事に出かけたが信号はまだところどころしか点灯しておらず、お店なども休んでいるところも多い状態で、まだまだ復旧には程遠い状態だった。


交通量が増えてきた分危険も大きい。バスが走っていないのも走行の安全が確保できないからである。

仕事に関しては、私は現在2箇所のマッサージ会社と委託契約を結んでいるが、そのうちの一つは今日は会社として休みにするとのことだった。ガソリンが手に入らずもう動けないらしい。


ちなみに私は地震前日に満タンにしたばかりだったので、約1週間は動ける。それに私は一応個人で独立してやっている形なので、その休んだ会社からも「委託の先生に関しては個々の判断にお任せします」と言われている。


利用者は待っているのだし、一件やっていくらの仕事なので、休めば直接収入減となる。簡単に休むわけにはいかない。


スーパーやコンビニの行列は今日も続いていたが、飲食店もところどころ営業しだしたので、すぐに落ち着くだろうと思っていた。


深刻だったのはガソリンスタンドの渋滞だ。6日はどこも営業してなかったし、7日も営業しているところは限られているので、酷いところでは信号をいくつも挟んで、数百メートルの行列になっていた。


本当に燃料がない人もいるだろうけれど、大半は「なくなったら困る」という怖れからの給油ではないだろうか? スーパーの食品もそうなのだけれど、みんなが慌てて買うから本当に切羽詰まった人が買えなくなるという現実もある。


道路や街が破壊されたわけではないので、何日かすればある程度のことは復旧する。ガソリンの在庫だって元々十分にあるはずで、ラジオの情報から1週間分は道内にあることがわかっていたので落ち着いてから入れようと思っていた。


仕事は予定どおりすべての訪問を終え、帰りに札幌のスーパーに寄ってみた。生協だったが、並ばずに入ることができた。やはり商品は品薄だったが、家にも食品はあるし、焦ることはない。


冷蔵庫は停電していた時間が16時間程度だったし、冷凍庫には丸い大きな氷を常備してあり、保冷剤をいくつも入れていたことも温度上昇を防ぐ力となったようだ。冷凍食品も少し溶け始めた程度だったし、冷蔵庫の方も含めて廃棄しなければならない食品はゼロだった。


妻は結局地下鉄が動き始めたのが遅く、会社からまた自宅待機の指示が出た。こうやって職場に行くことができない人もかなりの数いるだろう。


被災されている方には申し訳ないが、夜には我が家はいつもの暮らしに戻っていた。同じ厚別区でも今日の夕方になっても電気も水道もない老人施設もあったが、いきなり全道の電力を賄える能力がない以上、どうしても復旧速度に差異が出る。発電所に近いからといって、停電の復旧が早いわけではないらしい。


電力は、変電所、高度医療施設、役所などの災害復旧の司令所となる施設、指定避難所のあるところなどから優先して流していく。我が家は比較的早く停電から復帰したが、地下鉄大谷地駅が近いからかなと思っていた。だが、あとでよく考えると地下鉄の車両基地がすぐ近くなのでそのせいではないかと思われる。


大規模高度医療施設や道庁、市役所、観光客に影響の大きいホテルなどが集中する中央区がまず復旧したのも当然だろう。


8日土曜日は、妻は通常どおりに出勤し、私は休日。早い時間に出歩いてもまだどこも混雑しているだろうから、夕方になるのを待って、またスーパーに買い物に出かけた。


イオン平岡店に行ってみたが、専門店街は全て休みで、マクドナルドやパン屋のもりもとも営業していなかった。


肉や魚はほとんどなかったけれど、品数は少ないながらも惣菜も作り始めており、生ラーメンや豆腐、納豆、紙パックのジュース類、乳製品がほとんどない。


まる二日間は道内の製造業が全てストップしていたわけであり、大量の食材を廃棄しなければならなくなったところも多く、それに工場の設備が損傷していれば、すぐに再稼動も出来ないだろう。


加えて物流が止まっていたことが全てに影響している。飛行機もJR貨物も止まり、北海道は外界から遮断された島となってしまって、荷物が入ってこなかった。


船があるじゃないかと思われるかもしれないが、こちらの電気がない以上倉庫も使えないし、コンテナを荷揚げするにもクレーンやフォークリフトが使えなければどうにもならない。


外からの食材が入ってこなかった期間がある以上、その不足を取り戻すにも時間がかかるし、二日間はほとんど配達も出来ていないので荷物が滞っている。それを解消するのには運送業社がフル回転してもすぐにとはいかない。


溜まっている荷物を捌く間にも、今度は新たな荷物が地震前以上に入ってくるのだ。道内の運送業社はまさに非常事体制で頑張ってくれているが、平常に戻るにはまだしばらくはかかるだろう。


9日には震源地である厚真に複数の仲間がいるので、行ってみることにした。


早来からは直接入れないと聞いてはいたのだが、裏道を通っているつもりが結局警備の方がいる通行止のところに出てしまい、大きく戻ることになってしまった。


その際、早来のメインストリートを通ったが、窓ガラスが割れたり、傾いたりしている建物が多く、レンガ造りの建物やや石造りの倉庫は崩れてしまっていた。


道路の損傷もいたるところにあり、厚真に入ってからはあちこちが通行止になっていた。自衛隊員が各所に立って道を示す手書きの案内板を掲げてくれている。冷たい雨が降る中で、本当にご苦労様だ。いろんな面で自衛隊の方々が被災地を支えてくださっている。


厚真の市街地や山崩れのあった場所の方には行っていないので、最も深刻な被害の様子は目にしていないが、未だ水道も復旧しておらず、家を失った方々の今後の生活を考えると、もうすぐ寒くなってくることもあり、本当に深刻だなと思う。一刻も早く安心できる生活を取り戻して欲しい。


電力は8日になって損傷していない火力発電所が全て動き出し、水力、地熱、バイオなども合わせて電力供給しだしたが、なにせ震源に近く、損壊してしまった厚真火力発電所は元々道内の半分以上の電力を賄っていた基幹発電所だ。残りの電力を全て合わせても地震前のピーク電力には足りない。


当初「一週間以上」と言われていた厚真火力発電所再稼動までの期間は、次第に損傷の状態が明らかになってくるにつれて深刻な事態であることがわかり、11日になって1号機の復旧は9月末以降、2号機が10月中旬以降、火災を起こしていた4号機は未だ高熱で内部の点検も出来ていない状態で、11月以降になることが判明した。(3号機は老朽化のためか既に廃棄されている)


現在2割の節電が呼びかけられ、11日時点でなんとか達成できているので再び停電になることは避けられているが、これから寒くなってくれば電力需要はどんどん上がってくるので綱渡り状態であることは変わらない。


計画停電が実行されるようになれば、道民の生活はもちろん企業の活動も大幅に制限されることになり、経済も厳しくなってくる。また一定の明るさに慣れた人々が家や職場、外出した時のお店など暗い中で生活していると、だんだん気分が沈んでくることがあるので、リフレッシュする方策はそれぞれ考えておかなければいけないと感じる。


ただ、京極町にある揚水発電所が現在定期点検中で、その2号機が今月14日に、1号機が21日に稼動する予定であり、それが動き出せば合わせて40万キロワットの出力があるのでなんとか繋がってくる。


北海道は泊村の原子力発電所が停止したままで、道も再稼動は認めない方針であるため、もともと電力にゆとりはなかった。しかし、来年2月には石狩に新しいガスタービン発電所ができるので、そこまでしのげれば安心できるだろう。


電気はもはや生活の根幹であり、電気がなければ全てが動かなくなる。私たちは全て電子化されているあらゆる記録なども含め、電気に命を握られているのだ。今後はそれぞれが個人で電力自給をする方策も講じていかなければならないだろうし、電気に依存しすぎている生活そのものを見つめ直す必要があるのではないだろうか。



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北海道胆振東部地震 当日の様子

しばらく空いてしまって、神社参拝日記も、台北旅行記も書いていないのだが、今月北海道を襲った大地震のことを先に書いておこうと思う。



地震当日、6日午前3時過ぎに大地震が発生した時、私はまだ起きていてパソコンデスク前に座っていた。

緊急地震速報は地震が始まってから鳴り出した。ビリビリと建物が振動するような異様な揺れ方から大きく揺さぶられ、物が倒れたり落ちたりしたが、家具がずれたり倒れたりすることはなかった。揺れてる途中で停電になった。


地震にさほど恐怖は感じないのだが、とにかくまず妻の安全を確認しないとと思い、暗闇の中を妻が寝ている部屋に向かったが、手探りなのでドアがどこにあるかもよくわからない。


妻の無事を確認してから自室に戻ってスマホの照明を使って懐中電灯やろうそくを用意する。だが、いつも玄関に置いてある懐中電灯は電池切れで単一乾電池の買い置きもなかった。


当然テレビはつかないし、地震が起きてすぐはネットも全く繋がらない状態だったので情報が取れない。それからラジオを探し出してこれが本当に強い味方となった。こちらも電池は切れていたが、単三乾電池は用意がある。


ここはマンションなので停電になれば水も止まる。それが最大の問題だ。飲み水は千歳神社の湧き水を定期的に汲みに行っているのでまだ2リットルのペットボトル3本くらいがある。困るのはトイレの水だ。


ラジオで情報を聞きながら夜明けを待ち、午前6時前に車で出て、以前によく行っていた清田区の湧き水へ向かう。


すべての信号が消えており、コンビニの前にはすでに行列ができていた。湧き水も大混雑かなと思ったが、私達の他には一人だけだった。10リットルのポリタンク2つと、20リットルのポリタンク2つを満タンにして帰宅。


だいぶ状況がわかってきたが、安平、厚真周辺を震源とするマグニチュード6.7の大地震でその時点では最大震度6強と報道されていた。


JR、市営地下鉄、市電だけでなくバスも走っていないことがわかってきて公共交通機関は全滅、千歳空港も閉鎖され、北海道は死んだようになった。


当然妻の職場も自宅待機となった。しかし、私の仕事は訪問マッサージで、車移動さえできれば可能なので、とりあえずは出てみることにした。


いつもの通勤時間帯に出ても車は驚くほど少なかったが、信号がない状態で厚別区、北広島、江別と走るのはやはりかなり危険だった。報道ではマナーの良さが賛美されていたが、すべての車がそんなわけでもなく、幹線道路の流れはいつも通り速いし、狭い道路から広い道路に出るのはなかなか大変である。


昼食をどうしようかと思っていたが、昼頃にはホーマックもツルハもマックスバリュもそれぞれ100人以上の行列で、コンビニも長蛇の列。買い物なんて出来そうにない。もうすでにすぐ食べられる物はないだろう。


そんな中で当然すべての飲食店も閉まっていたが、なんと江別で一軒だけ営業しているラーメン屋があったのだ。当然停電しているが水道は止まっていないようで、途中でもやしや他の材料ががなくなったりしていたが、それでも頑張って営業してくれているのは本当にありがたかった。


結局午後はすべての仕事がキャンセルになってしまった。私の仕事はほとんどが老人施設を回るのだが、驚いたのは電話がつながらない施設が結構あるということ。


NTTの電話なら停電時でも繋がるはずだが、今はいろんな会社が電話サービスを提供していてそれらは停電時不通となる。我が家も固定電話はJ-COMを使っているので当然通じない。


自分で自分のことができない方達ばかりなので、こういう施設は病院などと同様非常事態だ。オール電化だったりしたら、食事の提供も危機的状況になる。職員さんも出社できない方が多数いるだろうし、多分歩いてでも非常招集かけて対応しているのだと思う。


家に帰ってただただラジオで情報を聞いて妻と二人、家にこもっていた。幸い災害対策は常日頃から考えているので、非常用持ち出し荷物はリュックに詰めてあるし、保存食料もある程度用意してある。建物は被災してないし、避難所に行くことは全く考えなかった。


再び夜になり、長い時間をじっとラジオを聞いて過ごすが、中央区で電力が戻ったとの情報があり、窓から見ても遠くに明かりが見えたので、早くうちも回復しないかなと期待しつつ簡素な食事をとる。


私の世代は、特に田舎で育った人たちは停電や断水なんてしょっちゅうあったし、精神的に追い詰められることはないのだが、不便なのは確かだし、テレビがないと時間も長く感じる。


しばらくして突然照明がついた。同時に水も戻った。本当にありがたい。すぐに風呂の浴槽に水をため、それが終わると妻にシャワーを浴びさせ、続いて私も浴びる。


テレビで情報を取れることが本当にありがたかった。そして被害は思ったより大きく、停電が全道全域であること、復旧には相当な日数がかかることがわかってきて、今後のことを思い巡らせていた。



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樽前山神社で昇殿参拝

近々台湾へ行く予定をしているのだが、先日ふと思い浮かんだことがある。それは、「日本の神社か寺で、台湾の神仏との御縁繋ぎの御祈祷をしていただけないだろうか?」

台湾へ行く主目的は台湾のお寺や廟をお参りすることであり、台湾の神様仏様と御縁を持たせて頂きたいというのが最大の願いである。

山岳系神様や元々渡来系の神様仏様ならば、かつて日本であった台湾の神仏との縁繋ぎは難しいことではないだろうし、その方が確実に御縁をいただけるだろうと思われる。

妻も賛成してくれたので、とりあえず幾つかの神社や寺に電話で問い合わせてみることにした。無論失礼のないように、そういうことが可能でしょうかという聞き方をしたのだが、それでも結果はけんもほろろであった。

鼻で笑われたところもあったし、言葉は丁寧でも伝わってくる波動は「は? 何バカなこと言ってんの?」といった反応だった。

唯一凄く丁寧な対応をしてくださったのが樽前山神社だった。丁寧に話を聞いてくれた後、「確認してからお返事させて頂きます」と、直接神職の方に可能かどうか聞いてくださったのだ。

結果的には「同じ神様であればできるんですが、お寺等となりますと宗派が違いますので・・・」とのことだった。まあ、これは想定内。仕方がない。

人間に言っても無駄だということがわかったので、直接神様に訴えるしかない。そしてやはり失礼のないように正装して昇殿参拝させて頂き、お願いしてみることにした。

選んだのはやはり樽前山神社。ここは間違いなく山岳系神様だろうし、元々私に御縁もある。旅行安全祈願という形で御祈祷をしていただくことにした。


15・16日はちょうど例大祭だったために御祈祷はできないとのことで、妻の誕生日でもある21日に決定。私は略式礼装でワイシャツにネクタイ、ジャケットという洋装。妻はお着物を着たいとのことで、いろいろ探して訪問着を安く借りられるところを見つけて、着付けをしてもらってから苫小牧に向かうことにした。

狸小路のお店で朝9時から着付けをしてもらい、高速で苫小牧へ向かい、東インターで降りて樽前山神社へ。神社の駐車場に着いて車のドアを開けると、妻の目の前に蝶々が飛んできた。蝶は霊的な昆虫。こんなはっきりとした歓迎をしていただけて、本当にありがたい。

手水舎で手と口を清め、社務所で受付をして参集殿で待たせていただく。

しばらくして巫女さんが迎えに来てくださり、いよいよ拝殿へ上らせていただく。樽前山神社の拝殿はまだ新しいが、かなり大きくて初めてだといささか圧倒される。何か失敗しないようにと、私としてはめずらしく緊張していた。

神職さんの指示に従って一番前に座らせて頂き、指示通り礼をしたり頭を下げたりしながら御祈祷は進んで行く。祝詞の響きが心地よい。神様へは心の中で直接ご挨拶してお祈りさせていただいた。

玉串は私一人が代表で捧げるのかと思ったら、妻にも待たせていただけたのでありがたかった。

そして嬉しかったのは巫女舞が奉納されたこと。一人での舞だったが、巫女さんが五十鈴と矢を5本ほど手にして舞ってくださった。

その後、その五十鈴でのお祓いもしてくださったのだが、その時、体の周りの透明な殻のようなものがカシャカシャと細かく砕け落ちていくような感覚があった。幣で払われた時は今日は何も感じなかったのだが、五十鈴でのお祓いは確かに何かを払い落としていただけた気がする。

御饌のスルメや昆布、お米、金平糖、そしてお守りを頂いて拝殿を出る。初めての御祈祷だったが貴重な体験をさせていただいた。



昼食は妻から「誕生日は一緒に美味しいものが食べたい」と言われていたので、苫小牧での美味しいものを考えていた。

何十年も前だが苫小牧には1年ほど住んでいたことがあるし、ここでのグルメといえば、北寄貝や牛タンが思い浮かぶ。だが、せっかく正装しているのだし、港の食堂よりホテルでのランチがいいかなと考えた。

人口17万3千人のまちなので、それほど格式高いホテルはないが、住んでいた当時雰囲気が好きで時々通っていたホテルがある。当時非常に珍しい森の中に点在するコテージ形式のみの「ホテルニドム」だ。


今は無くなっているようだが、その頃ここには小さなスポーツクラブがあり、ビジターで利用することができたので月に1〜2回ほどマシントレーニングや小さなプールを利用していたのだ。

たまには贅沢をしてここで食事をしたこともあったが、メインレストランでのランチは多分初めてだ。

神社についてすぐ予約の電話を入れておいたので、スムースに席に案内していただいた。すると弦楽四重奏の生演奏が始まった。4人全員が白人の女性である。

フレンチのコースランチだったが、最初のスープから衝撃を受けた。全く口にしたことのない味。そして極上に美味しい。それがそれから出てくる全ての料理に共通して言える感想だった。


いつの間にかレストランは私たちの貸切になっていたが、窓の外に広がる美しい景色を見ながら素晴らしい時間を過ごさせてもらった。あまりにも全てが美味しく、料理の説明やサービスにも感動したので、紙ナプキンにお手紙を書いておいてきた。

いつかまたゆっくり訪れたい。冬のニドムも素晴らしいのだ。



妻はせっかくお着物を着たので伏見稲荷にも行きたいとのことで、一路札幌に戻る。

途中、妻が急に不思議なことを語り出した。

「樽前山神社に参拝してからね、ずっとこの辺に白いふわふわちゃんがいるの」と言って、両手で運転席と助手席の間のダッシュボードの前辺りの空間を示す。

私「毛虫か?」
妻「違う! 例えればサモエドちゃんみたいなふわふわなの。その背中が見えるの」

サモエドといえば私の大好きな白色の大型犬なのだが、ちょっと待て。本人の右斜め前ってことは、それ狛犬の定位置ではないのか!?

つまり神社で御祈祷した時に、旅の無事を護るために神様が眷属を貸し出してくれたのではないだろうか? きっと、「こいつは弱いからお前たち守護してこい」と神様が命じたのだろう。

となれば狛犬は一組だから左斜め後ろにもいるのかもしれない。もしくは狼や山犬系の眷属だとしたら単独か?

今のところ左斜め後ろには存在を確認できないようだが、なんにしろこれはとてもありがたい。私自身にはいるのかどうかわからないが、多分妻だけだろう。海外旅行は何があるかわからないし、常時守ってくださる存在がいるならこれほど心強いことはない。



札幌の伏見稲荷神社で参拝した後、狸小路の着物やさんに戻って返却。私は神社の御神気のせいで眠たくてたまらなかったが、なんとか無事に帰ってこれた。本当にありがたい一日だった。



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樽前山神社例大祭

雨の中、苫小牧は札幌とは天候が違うかもしれないと期待しつつ高速道路を走る。ところが逆に雨はどんどん激しくなり、土砂降りになってしまった。

今日は樽前山神社の例大祭。来週また来るのだが、ここの神社の例大祭に来てみたくて今日もやってきた。

大きな駐車場は出店で埋め尽くされるので、近くに開設されていた1日800円の有料駐車場に駐車する。高いと思うが、公共の有料駐車場があるような場所ではないので仕方がない。

傘を持ってきて良かった。普段傘は嫌いなので滅多なことは使わないのだが、今日の振り方では傘なしではどうにもならない。

妻と二人で大きめのビニール傘一つで歩くが、頭は濡れなくても降りかたが激しいので肩やズボンもかなり濡れる。

境内の出店を一通り見て回ってから拝殿で参拝。この前来た時は頭頂部に強いエネルギー感を感じたが、今日は頭頂部ではなく、額の第三の目辺りにエネルギー感を感じた。でも何かが見えるということもない。

そのあと拝殿前の広場に張られたテントでお抹茶のサービスがあったので頂いてみる。正式に和服の女性が点てたお茶を飲むのは初めてかも。とても美味しかった。

境内奥にはステージがあり、様々な衣装を着た子供達が出し物を演じていたが、この雨ではプラスチック製の椅子に座ることもできず、皆さん立って見学している。

晴れていればもっと多くの観客に観ていただけただろうに、おそらく観客は出演者のご家族のみであろうが、ちょっと可哀想に思う。


さて、お祭りの楽しみである食べ物は、肉巻きおにぎり、ドネルサンド、チーズハットグ、お好み焼き、鳥皮せんべい、妻用のクレープを買い、車の中で食べることにした。さすがにこの雨の中では落ち着いて食べられない。

子供の頃はあれもこれも食べたいと思ってもなかなか食べたいもの全部など食べられない。しかし、この歳になって大人買いで食べたいと思ったものを全部買ってみると、これが結構な量で超満腹。

正直最後は押し込んだ感じであり、やはり「あれも食べてみたいなー」と思う程度でちょうどいいのだと思う。


帰りは千歳神社にも寄ろうと思っていたが、ペットボトルは忘れてしまったし、何より二人ともかなり濡れて体が冷え、妻の体力的にもしんどいだろうと判断してまずは恵庭の温泉であったまることにした。

しかし、温泉から上がって思い出したのは、今朝自宅の神前で「今日は千歳神社にも行こうと思っています」と心の中で言ってしまったこと。神様との約束は何があっても破れない。特にお稲荷様であればなおさらのこと。

妻にそれを話すと、妻も桜井識子さんの本を全部読んでいるのでわかってくれて、千歳に戻ることに。


妻は底の薄いスニーカーを履いていたので、靴が完全にびしょ濡れで気持ち悪い状態を我慢していたため、まず100均でサンダルを買おうということになり、どのみち帰りにセリアに寄りたいと言っていたので検索したら千歳イオン内にあった。

イオンに入りセリアで買い物、やっと終わったかなと思ったら妻が小走りでやってきて「気に入った靴が見つかった」とのこと。

実は7月は妻の誕生日があり、靴(サンダル)が欲しいとのことで昨日から何軒か店を回って探しているのだが、なにせサイズが小さいのでなかなかない。

婦人ファッションブランドの店では大体S・M・Lの3サイズで売っているが、妻は当然S。しかし、靴はほとんどSからなくなっていくのだ。

ここで見つけた靴は見たことのないファッションブランドのお店だったが、履き心地も良く、ジャストなSサイズで、色も気に入ったものが一点だけ残っていた。

妻は樽前山神社の神様がここへ導いてくれたのだととても喜んでいた。動いてくださったのはもしかしたら千歳神社の神様かもしれないし、両方の神様かもしれない。

しかし、恵庭の温泉に行く前に千歳イオンの前を通り、その時私は妻に「ここで靴見ていくか?」と聞いて妻は断っているのだ。神がここへ導いてくださったことだけは間違いない。


千歳神社では幸井の水をいただいた後、また刷毛で狛狐さんのワラジ虫を払い、拝殿でご挨拶する。今日はもうすでに暗くなり始めていた時間帯であり、拝殿の扉も、神門内の横の入り口ももう閉められていて、山神社への参拝はやめておいた。本来であれば午後3時までには参拝は終えなくてはならない。

今日は拝殿に向かう時も山道を降りる時もカラスが近くに飛んできて見守ってくれた。

この時期のカラスというのは子育ての時期なので気が立っていることが多く、襲ってくることも少なくない。

だが、ここのカラスは傍に来ることは良くあるのだが、今日も一度も「カー」とも鳴かず、食べ物を持っているわけではないので餌目当てで寄ってきているわけでもなく、いつも静かに見守ってくれている。神様のお遣いなのだ。

悪天候だったが、いい一日だった。




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新たなご縁をいただく

また御朱印巡りに出かけることにした。一箇所目は札幌御嶽神社。

この神社のことはつい最近まで全く知らなかった。いまだに札幌市内に知らない神社があったことにも驚いたが、かなり大きい神社である。

それもそのはず霊峰木曽御嶽山の御嶽神社の御分祀なのだ。小別沢という札幌の中でも秘境的な場所にあるので一般の方が目にする機会は極めて少ない。

だがそれゆえ静かな自然の中にある神社で、社殿は新しいが厳かな気を感じるお社だ。

ここでも御朱印をいただくが、白髭の宮司さんにお会いできなかったのは残念である。


そしてそこから近い西野神社へ。参拝客の多さに驚いた。決して大きな神社ではないが駐車場はいっぱいで次々に参拝客がやってくる。

だいぶ前に縁結びの神様として有名になり、それ以来若い女性が多数来るようになったのは知っていたが、ブームが終わってもこの賑わいとはご利益を感じていらっしゃる方も多いのだろう。

神殿内でも次々にご祈祷が行われていた。参拝する側としてもそれに遭遇できることはありがたい。

ここでは十二支の御朱印もあるのだが、今回は通常の御朱印を頂いた。いずれ十二支全ての御朱印も頂いてみたい。


最後に中央区の誓願寺へ。ここは薬師如来がご本尊なので一度お参りしたいと思っていた。

普段参拝客はないようで、インターホンを押してもなかなか返答がなかったが、無事中に入れた。

御朱印をお願いして、本堂へ入らせていただく。ご親切に短くなっていたろうそくも取り替えてくれた。結構広い本堂で、弁財天様もお祀りされている。

私は治療師だし、薬師如来様にはなんとかご縁を結ばせていただきたいとずっと思っていた。しかし北海道は誰でも参拝できるようなお寺が非常に少ない。

歴史ある内地の環境が羨ましくもあるが、この北の地で薬師如来様にお参りできることは大変ありがたい。



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桜井識子さんの本完読

最近文庫化された「京都でひっそりスピリチュアル」を今朝で読み終え、これで桜井識子さんの著書14冊を全て読み終えた。

今年の3月くらいから読み始めたと思うが、私としてはすごいペースで読み進めてきた。其の間、他の著者の書物も結構読んでいる。

まあ、彼女の本は本当に面白い。そしてこれほど神仏のことに関して学べる本もそうはない。

何よりすごいのは彼女が地上で学んだ知識を書いているのではなく、予備知識なく神仏と向き合って時には実験したり失敗したりしながら、その実体験を書いているということなのだ。

こういうタイプの精神世界の本は日本にはほとんどなかった。

それは冒険記でもあり、信じない人にとってはあり得ないことばかりだろう。だが、長く精神世界を旅してきて、闇も光も経験してきた私にとっては、識子さんの本は確実な真実が書かれていると感じるし、愛とユーモアに満ちていて、天の計画に基づいて出版が進められているとしか思えない。


学ぶという部分を抜きにしてもとにかく内容が面白い。神様でさえ手を出せないような強力な黒龍と猛烈な嵐の中本気で喧嘩したり、家康に本気で説教したり、秀吉を救ったり、信長の最後を解き明かしたり、安倍晴明に式神の力を使わせて試してみたり、時には寂れてしまった神社を守る人間の霊から請われて再興の手助けをしたりと、笑ったり感心したり驚いたりしながら様々な物語に引き込んでくれるのだ。

その他にも過去の天皇から探し物を頼まれたり、妖に騙されて危険な目にあったり、妖精のような不思議な存在が家に住み着いたりと、とにかくバラエティ豊かに神仏や霊の世界を冒険してくれる。

識子さんがすごく純粋な方だとはわかるのだが、同時に関西のおばちゃんとしての図々しさや大胆さが感じられ、庶民感覚で神仏と向き合っているのが最高なのだ。

今は彼女の書いているブログの過去記事を全て読もうと、一番最初の記事から順を追って読み進めているが、今後の新刊にもとても期待している。



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神様からのサイン

今日も千歳神社へ。

気になって仕方がなかった狛狐さんにたかっているワラジ虫をなんとかしようと考え、100均で塗装用の刷毛を買い、その毛の部分にハッカ油を染み込ませてみた。

ハッカ油は虫よけにもなるので、ワラジ虫も嫌うかなと思ったのだ。

しかし、狛狐さんにとってはどうなのだろうと心配でもある。人間にとっても肌に直接つけると強すぎるし、スースーして傷などがあれば大変なことになる。

狛狐さんには滲みないだろうか? 不快ではないだろうか? 私にはよくわからないので、やってみていけないことならば何かお叱りを受けるだろうと、まずは思いついた通りやってみることにした。


この日は雨で、神社に着いた頃には霧雨になっていた。傘は必要なく、とても心地よい浄化の雨だ。

石段を上がって、石の鳥居をくぐったところに狛狐さんがいらっしゃる。子狐を連れた母狐の方が特にワラジ虫がひどかったのだが、今日見ると父狐の方にもかなりたかっている。

早速刷毛で払い落とし、窪みになって特にワラジ虫が溜まっている部分には直接ハッカスプレーもかけてみた。だが、ワラジ虫にとってはそれほど嫌がっているようにも見えない。

払っても払っても暗く湿った凹みの部分に戻ろうとするので遠くまで掃き飛ばすしかない。

どうにかほとんどいなくなったところで終了し、本殿でご挨拶。


その後山神社にも寄り、こちらの狛犬さんもクモなどが付いていたので払っておく。

参拝自体は霧雨の中心地よかったが、今日は動物や虫が出てきて挨拶してくれることもなく、特に不思議なこともなく、何もなかったなあという感じ。


無事に帰宅できたので怒られてはいないようなのだが、ハッカスプレーが良かったのかどうかは正直よく分からない。

今日は歓迎のしるし、何もなかったしなあと思ったのだが、よく考えるとあった!

狛狐さんのワラジ虫を落としている時、参拝を終えた一人の若い女性が山道を下りていき、その際に笑顔で大きな声で「こんにちわー!」と声をかけてくれたのだ。

今までここで軽く会釈されることはあっても声をかけられたことはなく、しかもすれ違ったのではなく少し離れた場所で作業をしていたのにわざわざこちらに声をかけてくれたのだ。しかも一人で参拝に来ている若い女性から挨拶されるなんてことは、この神社に限らず普段でも滅多にない。

そして山神社の方でも、帰ろうとした時にお婆さんが一人で参拝に訪れ、「こんにちわー」と声をかけてくれたのだ。


神様はちゃんと歓迎してくださっていた。ありがたい。



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夏越の大祓

映画「ハン・ソロ」を観て、買い物してから急いで千歳神社へ。

妻が昨日から出血が減り、今日はもう生理が終わったとのことなので、急遽千歳神社で行われる夏越の大祓を受けに行くことにしたのだ。

千歳神社の夏越の大祓は夕方18時からで、17:35、高速を飛ばしてなんとか間に合うことができた。

上の神門前で受付をしたが、おそらく100人以上は来ていると思う。一人一人に茅の枝が持たされ、整列して開始を待つ。

時間が来ると神職の祝詞・神事の後、茅を使って自分自身を払い、その茅を奉納する。そして神職さんの後に付いて和歌を歌いながら茅の輪をくぐっていくのだが、全員が一列になって連なっていくので、神職さんは境内いっぱいに大きく左回り右回り左回りしていく。

二回り目三回り目は最後尾の人がくぐり抜けるまで待たねばならない大行列となったが、無事神事は終了。玄関に飾るしめ縄とお札をいただけた。


その後、本殿へのご挨拶は混んでいたので、先に山神社へご挨拶。すると妻の目の前に何か虫が飛んできて妻が声を出した。またスズメバチかと思ったが、違う。なんとクワガタだった。クワガタが飛んでいるところに遭遇することなんて滅多にあるもんじゃない。

そしてさらに霊的な昆虫である蝶も舞ってくれた。よく来たと山神様は歓迎してくださったのだ。


本殿でもお礼を申し上げ、階段を下ると、社務所前ではそうめん(温かいにゅーめん)が振舞われていた。縁起物なのでそれも頂いて帰途につく。ありがたい1日だった。




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可愛い神遣い

また仕事の後に千歳神社へ。

いつもの狛狐様に挨拶すると、なんだかおかしい。よく見るとお母さん狐のほうにたくさんのワラジ虫がついている。最近雨ばかりで湿気がすごいので仕方ないのかもしれないが、あまりにお可哀そうで、お顔だけは指で払わせていただいた。

しかし、子狐との間の凹んだところなどにはウジャウジャとワラジ虫がたかっている。御神像に触れていいものかどうかもよくわからないが、こんな状態はあまりにおいたわしい。なんとかしてやれないものだろうか。

神門の中、中央ほどには茅の輪が設置されていた。夏越の大祓で使われるもので、横に立て看板があり、和歌を歌いながら左回り右回り左回りと3度回るらしい。

実は妻がこの夏越の大祓をとても楽しみにしていたのだが、直前で生理になってしまい、生理中は神社への参拝は神様に対して大変失礼なことなので、すごく残念がっていたのだ。

拝殿のところには夏越の大祓で使う人形も置いてあったので一応頂いては来たが、今回は無理だろう。


奥の山神社へも行くと参拝した後、何やら横で動くものが・・・ リスだった。木の幹をくるくる回ったりした後地面に降りてきた。

話しかけると動きを止めてじっとこちらを見てくれた。少しすると山神社のお社の裏へ駆け抜けていく。

山神様が遣いを差し向けてくださったのだ。本当にありがたい。



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上砂川の産土はどこか

私の生まれたところは空知の上砂川町だ。かつては炭鉱の町として栄え、最盛期は人口も三万人くらいいたらしい。

私の子供の頃はもうだいぶ衰退してきていたが、それでも小さな町に映画館が3件もあったことを覚えている。父は元映写技師で、その顔でいつもタダで子供映画を見せてもらっていた。怪獣映画や東映まんが祭りが大好きだった。

そんな上砂川町も炭鉱閉山後は衰退の一途を辿り、人口も今は三千人くらいしかいない。

私も高校を出ると同時に札幌の大学へ入り、その後も居住者としては戻っていないので、四十年以上離れていることになる。

先日妻の産土様を訪ねて洞爺湖へ行ったが、やはり私も早い機会に産土参りをしたほうがいいだろうと思って、郷里の神社を訪ねてみることにした。

しかし、私が生まれ育った地域には神社なんてなかったし、神社のお祭りに行った記憶はあるがそれはバスに乗ってかなり奥のほうへ行ったところだった記憶が有る。

ところが、グーグルマップで調べると記憶にある地域に神社は全く表示されない。「上砂川神社」というのはあるのだが、それは役場の近くで、逆にそこには行った記憶がない。

もう一つ、私が幼少期を過ごした地域から比較的近いところに「龍神神社」というのが表示されるのだが、そんな神社も全く知らない。

調べてみると私が行った記憶のある石段を登って高台にあった神社は「上砂川山神社」といい、閉山後しばらくして神様は移され、今は廃墟となっているらしい。

先日妻の産土様を調べる際に、最も詳しく表示されるgooマップを使うとちゃんと表示された。

また龍神神社は、Googleマップですぐ前に行くことができ、写真を表示するととても小さい祠があるだけの神社だった。

その地域は崖の下にある十数戸くらいの極めて小さな集落なので、その地域の人たちで御祀りした神社ではないだろうか?


とにかく妻と二人で郷里に行ってみることにした。

いつもは通らない奈井江町から上砂川の本町に抜ける道々114号線を通ってみたが、数軒あったはずの民家は全く無くなっており、本当にこの辺の小さな集落はどんどん消えていっているのだなと感じた。

最初に行ったのが神社に行った記憶が残っている「上砂川山神社」の跡地。だが、どこがどこやら何もかも変わっていてさっぱりわからない。何度も確認してそれらしき道に入っていくと上空を案内するようにトンビが飛んでいる。

車で入っていけそうな道だったので上がってみるが、その先はかつてなにか建物があったような広場にはなっていたが、明らかにここではない。

なんとか狭い場所で車を切り返して戻っていくと左手にキタキツネが姿を現した。だがそちらの方向も明らかに違う。

さらに戻って振り返ると、右側に植物に覆われてもはや道かどうかすらわからない坂があった。これだ。間違いなくこの上が神社跡地だろう。

だが、上にも樹木が覆いかぶさっていて草も深く生い茂っているその中に入っていく気はしなかった。トンビやキタキツネは神様が遣わしたのだろうけれど、元の参道ではないところに現れているし、行くなということだと思う。

廃墟になっているのなら今は良い存在が住まっているとは思えない。その道から感じた雰囲気からも近寄るべきではないだろうと判断した。


次に行ったのが役場の裏にある「上砂川神社」。ここが上砂川町の総鎮守的な神社なようだが、やはりここへ来た記憶がない。

しっかりとした社殿だが、一面を鉄の扉でがっちりと覆われており、普段ずっとこのままのようだ。これでは神様も息ぐるしいと思われるが、どうしようもない。

だが、御神気は感じることができた。参拝中に爽やかな風がザーッと吹き抜け、裏山には蝶々が舞っていた。神様はいらっしゃる。だが、正直ここが自分の産土神社なのかどうかはわからない。

縁があるとすれば廃墟になった上砂川山神社の方だろうが、移された神様がどこへ移されたのかもわからない。


最後に龍神神社へ。たどり着いたその場所は明らかに私が行ったことのない場所で、3つの神社の中では私が生まれ育った鶉地区に一番近いとはいえ、ご縁があるようにはあまり感じない。

しかも、Googleマップでは祠の写真があったのに、何度も確認して同じ場所であることは確かだったが、その祠はもうなかった。

手前にコンクリート製の石段跡のようなものが数段あったが、雪で潰れたままとかでもなく、きれいさっぱり何にもないのだ。

一応跡地の前で龍神祝詞をあげてみる。もしご縁ある神様であれば、この龍神祝詞で私がここへ来たことは繋がっているだろうとは思う。

しかし、特に歓迎されているような証もなく、なぜかこの後、しばらく頭痛が続いてしまった。普段頭痛になることは滅多にない私だが、なにか良くないものでも憑いたのだろうか?


さて、神様がいらっしゃるのは上砂川神社だけのようだが、ここが自分の産土様なのかどうかはよくわからない。

もしここ以外だとすれば、周辺の市町村の比較的大きな神社ではないかと思う。それで近くの町を調べた所、ピンとくる所があった。

新十津川町の出雲大社新十津川分院だ。ここに分院があることは知らなかったが、出雲系の神様には日頃ご縁を感じている。


早速向かったが、こんな所にこんな立派な神社があったとはと少々驚いた。丁度社殿屋根の工事をやっていて神様は仮殿に移されていたが、ご挨拶をしてすごく惹かれるものがあった。

妻は参拝中に体が物理的に前方に引っ張られて、足を開いて踏ん張っていた。かなり強い力を持った神様が御鎮座していると思われる。

御朱印は二種類あり、私は出雲大社の昔のお社の御朱印を、妻は因幡の白兎の御朱印をいただいた。金運のお守りも頂いたが、その際に火打ち石で打ってから渡していただいた。なんだかとてもありがたく感じる。社殿の修理が終わる10月になったら是非また伺って昇殿参拝させていただきたい。

考えてみれば私は妻の厄払いに付いて北海道神宮の拝殿に入ったことはあるが、自分でご祈祷などを依頼したり、正式参拝したことはないのだ。一度きちんと昇殿して神様と向き合いたい。何箇所か昇殿参拝してみたい所はあるが、出雲大社新十津川分院は外せないな。


そしてもう一箇所くらい行きたいなと思って思い浮かんだのが新十津川神社。ここは昔、昭和42年に今の名称になったが、それまでは「玉置神社」であり、今でも鳥居と拝殿に掲げられる神社の名称は「玉置神社」なのだ。

ここ新十津川町は、1889年(明治22年)に奈良県吉野郡十津川村で起きた168人が亡くなる大水害の後、村が壊滅的被害を受けたため約2500人が集団移住して開拓したまちであり、十津川村で古くから尊崇されてきた玉置神社の御分霊を奉斎したのである。

ここへ来た時は覚えていなかったが、どうやら過去に参拝したことがある。それに元の神社である奈良県の玉置神社にも私は参拝したことがあった。「火水伝文」の動きで全国を回っていた時のことだ。

原初の日本の神様の一柱であり、妻にもここの神社には縁をつないでおいてもらいたいと思った。

ここでも御朱印をいただいたが、宮司さんと少しお話をする機会があった。ここの宮司さんは8箇所くらいを神社をやっていて、ここにいることはあまりないそうで、今日もこれから出かける所だったとのこと。

これも偶然ではあるまい。直接御朱印をいただけて良かった。神様はこちらにも呼んでくださったということだ。


帰り道でまた三笠市にある太古の湯で温泉に浸かる。岩盤浴も気持ち良かった。

その後、新十津川神社の宮司さんが管理されていると言っていた栗山町の栗山天満宮にも寄って御朱印をいただく。

社務所へ行くとなんと新十津川神社の境内でお会いした娘さんが出てきて、向こうも驚いておられた。こちらの方が本来の住まいで、新十津川神社へは時々行っておられるとのことだった。宮司さんのご家族らしい。


最後に北広島の達磨寺にも寄ってみることにした。

ここは北海道には銭洗弁天はないのだろうかと検索していて見つけたお寺で、こんなすぐ近くにあったのかと行くのを楽しみにしていた。

ネットで見た情報ではかなり大きなお寺で、五重塔まである。北海道ではなかなかないような立派なお寺のようだが、北広島にそんな大きなお寺があったかなと思いつつ住所地に到着。

ところがどうも何か違う。巨大な本堂など見当たらないし、五重塔もない。本堂になっているのは一般住宅を改装したような建物だった。場所を間違ったかなと思ったが、どうやらそうでもない。

ホームページをスマホで見てやっとわかった。それは「西暦2300年の風景」として描かれた未来図だったのだ。300年先にはこうなっていたいということであった。

だが境内には結構見どころがある。閻魔堂や、巨大な石仏も多数あり、ボーリングして湧出したという地下水もこんこんと湧き出て滝や池を作っている。

その滝のところに弁財天様の石像があった。ザルも置いてあり、ちゃんとお金を洗えるようになっている。真新しいのでご利益があるかどうかはわからないが、お供えもして、ご挨拶して、コインを洗わせていただいた。

すると、その水が異様に温かい。地下水だからと思ったが、どうもそれだけのレベルでもなく温かいのだ。これは温泉だろうと思われる。

温浴施設でも作ったらいい収入源になるのではと思ってしまった。仏様のご利益のある霊泉となれば、たくさんの人がきて、お寺にも参拝して頂けるだろう。まあ、余計なお世話かもしれないが。




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